朝日新聞という「大きな物語」の終わり

朝日新聞という「大きな物語」の終わり

2014年09月14日発行



池田信夫メールマガジン「エコノMIX」
朝日新聞という「大きな物語」の終わり
発行:2014年9月14日号


今週の目次
  • 第1部 昭和史を考える:日米開戦は「コンドラチェフ循環」?
  • 第2部 ピケティ入門:所得と生産量
  • 第3部:自由が丘カフェ:朝日新聞の思い出
  • 第4部 私の音楽ライブラリー:Carole King "Tapestry"
  • 第5部:Q&A


いま『朝日新聞 世紀の大誤報』(仮題)という本を書いているのですが、次から次に事態が新展開を見せて、原稿が終わらない。私はまったく偶然に、あの植村記者と同じ時期に強制連行を取材するめぐり合わせになったわけですが、他にもいろんな符合があります。私が朝日の内定をけらなければ、木村社長はたぶん私と同期入社。あのころは朝日の就職偏差値も高く、一次試験は慶応の日吉の大教室で受験しました。競争率は150倍ぐらい…などというと「いやみな自慢話」といわれるので、あとは第3部で。


第1部 昭和史を考える(11):日米開戦は「コンドラチェフ循環」?

近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇 (岩波現代文庫)
朝日の事件のコアは、誤報ではありません。誤報は訂正したら終わりですが、社長は「これからも明確に従来の主張を続けていくことは、いささかも変わりません」と強調している歴史認識です。このゆがんだ歴史観があるかぎり、同じようなミスリードがくり返されるでしょう。それは歴史的事実には合わないので、事実を捏造するしかない。

先週のアゴラ読書塾で片山杜秀さんも言っていたように、朝日の歴史観は学問的には話にならないぐらい古い。日本は明治の初めから侵略国家で、軍が暴走して国民を戦争に引きずり込んだ。政治家も官僚も新聞もそれを止めようとしたが、治安維持法などによる言論弾圧で止められなかった――という勧善懲悪のストーリー。

歴史がこれほど単純でわかりやすかったら、悪玉の軍さえいなくなったら平和が永遠に続きます。しかし実際には、陸軍は慎重派だった。永田鉄山も石原莞爾も、日中戦争は考えていなかった。まして日米戦争は、何の準備もできていなかった。他方、近衛文麿も松岡洋右も、本当は日米開戦を望んでいなかった。もちろん天皇は反対だった。秘密投票をすれば否決される決定が、なぜ行なわれたのか?

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