なぜ「知」の権威は21世紀に地に落ちてしまったのだろうか? 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.486

なぜ「知」の権威は21世紀に地に落ちてしまったのだろうか? 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.486

2018年02月12日発行

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佐々木俊尚の未来地図レポート     2018.2.12 Vol.486
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【今週のコンテンツ】

特集
なぜ「知」の権威は21世紀に地に落ちてしまったのだろうか?
〜〜知識人に代わって台頭してくる「ソートリーダー」(前編)

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■特集

なぜ「知」の権威は21世紀に地に落ちてしまったのだろうか?
〜〜知識人に代わって台頭してくる「ソートリーダー」(前編)
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 これからの時代に、「知」や知識人は社会とどのような関係を持っていくことが可能なのでしょうか。最近、そんなことを考えます。



 旧来の20世紀型の知は、急速に力を失いつつあるように思えます。知識人だけでなく、政府や官僚、専門家、そして新聞やテレビなどのマスコミの権威にも当てはまると思いますが、ここには二つの要因があります。ひとつは、1990年代に米ソ対立の冷戦が終わり、それ以前の西欧的イデオロギーがうまく機能しなくなり、答えが見つけにくくなったこと。そしてもうひとつは、SNSの普及でしょう。



 ネイバル・ウォー大学のトム・ニコルズ教授はこんなことを書いています。「 いま世界で『専門知識の死』が進行しつつあるのを、私は心配している。グーグルやウ ィキペディア、ブログの氾濫が、専門家と素人、教師と生徒、知っている人と知らない人―つまり、ある領域で実績のある人と、まったく実績のない人の区別を崩壊させている」


 これは決して悪いことではありません。従来の権威がつねに正しいことを言うとは限らず、権威の誤謬をネット上の匿名の人が指摘するというようなことは日本でもよく見られることです。Twitterでの議論を見れば一目瞭然ですね。知のフラット化が進むことで、政治家やマスコミの間違いをただすことが以前よりも容易になったのは間違いありません。



 しかしその一方で、専門家の意見をネット上の罵声が封殺してしまうというようなことも起きています。たとえば東日本大震災とその後の原発事故が典型でしょう。さまざまな意見がありましたが、専門家の立場から放射線の危険について冷静な意見を表明した物理学者や医師らに対して「御用学者」という非難が殺到し、さらには「御用学者リスト」がネット上で作られて閲覧されるという事態にまでなりました。これが学者や医師を萎縮させ、冷静な議論をしにくくしてしまったことは多くの人に指摘されています。



 そもそも、こうした「知の権威」とはどのようにして構築されてきたのでしょうか。その起源を探していくと、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ市民社会の成立にまでさかのぼれます。



 それまで政治は、王の宮廷で行われていました。しかし資本主義が進んでブルジョワジーと呼ばれる新しい富裕層が台頭してくる中で、宮廷の外側で政治の議論が活発になっていきます。イギリスのコーヒーハウスやフランスのカフェ、サロンで政治の討論が行われるようになり、これが公論の場を生み出し、世論形成の場になっていったのです。これが市民社会と民主主義の始まりと言えるでしょう。



 ドイツの社会学者ユルゲン・ハーバーマスは、そのころのコーヒーハウスでの討論には次のような基盤が存在していたと指摘しています。



 第一に、討論への参加者がどのような社会的地位を持っているのかは度外視されていたこと。
 第二に、それまで教会や国家によって当然のことだとされていた問題も、タブーなしに自由に討議されたこと。
 第三に、誰もが自由に、討論に参加できたこと。



 ハーバーマスのこの論考からは、そもそも近代の知そのものが、それ以前の宮廷や教会という古い権威を否定したところから始まったことがわかります。このような自由でオープンな知がジャーナリズムや近代批評を生んだのです。しかしこのような近代的な知は、実は内部に弱さをはらんでいました。コーヒーハウスの討論は、「参加者全員が討論をする能力を持っている」というエリートの等質性を前提にしていたからです。



 だから19世紀の後半、産業革命の進展によって貧しかった労働者階級が力を持つようになってくると、全員で議論するサロン的民主主義という枠組み自体が困難になってきます。



 この時代の特徴は、誰が労働者階級を取り...
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