2億円をめぐる検察と暴力団の癒着①

2億円をめぐる検察と暴力団の癒着①

2013年10月10日発行

検察とは「不正義」



 一般に検察は正義の味方だと思われている。「ムネオハウス」で散々世間からバッシングを受け、検察に徹底的に叩かれた経験を持つ、新党大地の鈴木宗男代表でさえも、「捕まるまでは、検察は正義の味方だと思っていた」と口にしたことがある。私もかつては、「検察は正義である」と信じていた。



 しかし、ここまで読み進めた読者からすれば検察は「正義」ではないということは分かってもらえたであろう。しかし正義でないどころか「不正義」そのものであるとまでは、容易には信じられないかもしれない。

 だが、私の事件を検察がでっち上げる中で隠し持った裏金という毒は「日本社会の暗部」との癒着をも生み、その「暗部」では大変なことが起こっていた。暴力団の抗争を生み、さらには殺人事件まで起きる結果となったのだ。

 この章では、司法取引をめぐる検察と暴力団の癒着の実態を明らかにしたい。それは、私のでっち上げ逮捕に協力した企業舎弟・渡真利忠光という男と、大阪地検の奇怪なつながりから始まる、闇の闇だ。



 私の逮捕は、マンション購入で渡真利と出会ったことと深く関係しているのだが、そこから詳しく語りたい。



 私は平成13年2月15日に今居住している神戸市中央区のマンションの居室を裁判所の競売で落札した。この居室には玄関が2つあって、一方は事務所用、他方は住居用の間取りになっていた。私は近い将来、弁護士をするつもりだったので、神戸地裁にも近く、弁護士事務所として使えるこの居室が便利だと思ったのだ。



 ところがここに居座っていた暴力団組長・亀谷直人からの依頼で、その代理人である渡真利が、このマンションを買い戻したい、と不動産会社を通じて私に話してきたのである。



 このマンションは空き室である、と裁判所の調査書に記載されていたので、私は落札した。が、実際は亀谷組長らが居住していたことが、後になって分かった。どうやら裁判所の執行官が調査をするときだけ空家にして、それが終われば再び居座っていたのだ。



 亀谷が暴力団組長であるかどうか、最初は分からなかった。が、彼が暴力団組長であることや、この居室に不法に居座っていることを知るに及んで、問題が起こる前に手放そうと思い「買い戻しに応じる」と答えた。

 しかし、待てど暮らせど、買い戻しの代金は払われない。ついには裁判所に申請し、亀谷組長を強制退去させた。

渡真利は亀谷退去に際し、私に退去料を払わせようとしたが、1円の退去料も払わせることができないまま、亀谷組長は強制退去させられた。暴力団の論理からすると、「指つめ」くらいではすまない不義理に追い込まれたのである。渡真利はこれを打開するため、私を陥れることによって、何とか亀谷組長をマンションに再び居住させることを画策したのである。



 そして2人は、京都のN(N氏は京都の繁華街の外れで小さな和菓子店を経営している N氏については後述)と言う男性を介して、元大阪高検検事長荒川洋二弁護士と接触した。ここで2人は「マンションに引き続き居住できるよう、三井と交渉してほしい」と頼んだようだ。

 その時、荒川弁護士に買い戻しの経緯を箇条書きにしたメモと、私への私的接待に関するメモ(後述)を渡した。それが検察に持ち込まれ、法廷ではそれを「荒川メモ」と呼んだのだ。このメモこそが、私のでっち上げ逮捕のカギになるものだ。



 荒川弁護士はこのメモをすぐに、大阪高検の大塚清明次席検事に渡すのだが、この当時は「怪文書の類として、気にも留められなかった。しかし、約80日後の4月18日午後3時ころに、大塚次席検事はこのメモを佐々木茂夫大阪地検検事正に渡した。これによって事実上、私を逮捕することになるわけだ。そして大仲土和検事が、私の事件の主任検事に任命される。





2億円をめぐるいざこざ

 起訴されて、第1回公判が始まった平成14年9月頃のことである。私の弁護団長の石松竹雄弁護人から、

「三井さんの逮捕に関連して、指定暴力団の山口組から2億円が裏で動いたとの情報がある」

 と言われた。



 2億円について聞いたのは、これが初めてのことだ。びっくりしたとはいえ、この時はまだ何のことかさっぱりわからなかった。



 実は、石松弁護人は山建組組長・桑田健吉の弁護人でもあった。たぶんそのあたりからの情報であった...

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